2008年5月 1日 (木)

今迄どうやって訳していたのか分からない

NHKのテレビ外国語会話が今年度から「テレビで~会話」という名前になり、時間帯も少し変わった。この「少し」がわたしには大変な事件だった。

力を入れていたフランス語とドイツ語が連続して放送されることになってしまった。

今迄は放送の直前にちょこちょこっと眼を通して番組を眺めていると、それだけで何と無く語学の勉強になっているのでは…?という雰囲気や自己満足に浸ることが出来たが、直前の勉強がしにくくなった。

心を入れ替え、今年度はフランス語とドイツ語だけに絞り(スペイン語まで手を出していた。更にはイタリア語まで…)予復習をきちんとやる事にした。

一気に難しく感じ始めている。

今迄何を勉強してきたのだろうか?
殆ど初めてドイツ語やフランス語に触れているような気分だ。

今年からGoetheの『Die Leiden des jungen Werther』を訳し始めていた。ゲーテのドイツ語に対して、ある程度自分なりのイメージがつかめてきたようにも思っていた。

今迄も外国語の文章を訳しては、それをBlogに掲載してきた記憶もある。だが、正直言ってどの様にその「偉業」を成し遂げてきたのか全く分からなくなっている。

大学でドイツ語は少し勉強した。その「蓄え」があるだろうと期待していたのだが、全く歯が立たない。先週はフランス語に力を入れたので、余計ドイツ語が分からなくなってきている。
慌ててドイツ語の復習に力を入れ始めた。
今週の復習をやっていたのだが、今迄やってきたことがきちんと頭に入っていないため、テキストを遡っていたら最初まで遡る羽目に陥った。

どちらかと言うと慣れているドイツ語がこれなので、フランス語は押して知るべし。真面目に取り組み始めたと思っていたのは、単なる錯覚で、最初の頃はやはりただ漫然と見ていたに過ぎない。勿論何も頭に入っていない。

語学の勉強をしているというより、自己嫌悪とひたすら戦っている、そんな気分の方が近いように思う。兎に角覚えないし、忘れる。
そんなわたしの実態を無視して、テキストの情報量はひたすら多い。

数年間テキストを眺め続けて、感心するのは毎年良く工夫されていて、しかも使い回しをしないということがある。

今週のドイツ語のテキストに、äの発音の仕方が載っていた。普通のテキストには、判で押したように「あ」の口の形で「え」と発音するように、と書かれている。
今季はちょっと違っていた。
日本語で驚いたときに出す「え~」の音のつもりでどうぞ
これにはちょっと感動した。この説明の仕方は斬新で、しかも覚えやすい。…この手があったか!

この発音の仕方は覚えそうだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月20日 (木)

謎な現象

最近中井久夫を中心にして精神医学・心理学関係の本を読んでいる。

専門家の方々は中井久夫をどの様に評価なされているのかは知らない。だが、文学的香りが高い文章だと思う。
興味がそそられて、エセーなども入手したのだが、観察眼の鋭さが際立つ。

阪神大震災以来、日本でPTSDという言葉が一般化されたが、中井久夫の報告がこの用語を広めた大きなきっかけにはなっていると思う。

ところで、心理学関係の本を読み始めたせいか謎な現象が起きている。
このブログにMacから入れない。

何故なのかもうひとつ分からないが、WinのそれもIEを通してしか書き込めなくなっている。

と言っても、この文章がきちんとUpされるかどうかも今は心許なく思っている。どうなっているのだろう?

--
その後、実に基本的なところで間違えていた事に気が付く。

長い間、更新していないとどうしようもない事を忘れるものだ。実にどうでも良い文章になってしまった。これもわたしの現実だろう。残しておこう。
--

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月10日 (水)

『曲亭馬琴 遺稿』の事

浅草寺北、三社神社の裏にある通路の脇には「筆塚」「机塚」が今も残っている。この塚を京山が造った経緯が描かれている。
山東京伝ならば知っている。即座に幾つか作品の名を挙げることもできる。けれど京山は別だ。山東京伝の弟。それ以外知識が無い。
いや、作品を知らない訳ではなかった。鈴木牧之の『北越雪譜』。これは京山の筆によるものだ。この作品は雪の季節必ずといって良いほど手にする。手にするたびにその序に京山の名がある。その名は、浮いている。

森田誠吾と言う作家は爆発的に売れはしなかった。だが、一部に熱烈なファンがいることも確かで、作品はどれも高水準を保っている。
その中でもこの『曲亭馬琴 遺稿』は燦然と輝いている。

馬琴67歳。もはや晩年。成功を収めた彼は讃州高松藩家老、木村黙老の不躾とも言える依頼を切っ掛けに、江戸時代の戯作者の沿革を述べた『近世物之本江戸作者部類』を突然書き始める。

この本。出版には到っていない。

小説にありがちな作者の作り出した架空の本なのか?そう最初は思った。けれど調べてみると出版はされなかったが『近世物之本江戸作者部類』は実在する。
森田誠吾は史実を書簡などの史料を自在にちりばめ、操り、馬琴とその周辺の江戸を再現する。

巻末に「参考文献」が丁寧にまとめられている。ここから『曲亭馬琴 遺稿』を中心に江戸時代そのものを調べて行く事も出来る。
一時期わたしはその作業に没頭した。

細部に渡って、極めて良く調べられている本だ。馬琴の生い立ち、家族に始まり、版元との確執までもが明瞭簡潔に述べられている。
呉服屋で反物を選ぶ時、そこで軽い食事を採る。その様な習慣はこの本を切っ掛けにはじめて知った。実際にあった習慣らしい。
単行本ではなく、文庫本に添えられた解説にその顛末が述べられている。

さりげなく、そして、労力を惜しむ事無く彼は調べたそれらの史料を単なる描写だけにすら用いる。

『近世物之本江戸作者部類』のおよそ1/4は馬琴自身の事に費やされている。馬琴の自己弁明の書。その様に評価されてもいるようだ。

既に述べたが、馬琴は『南総里見八犬伝』などでゆるぎない成功を収めている。

ならば何故、晩年になって突然自己弁明の書に取り掛かったのか?

毀誉褒貶、馬琴には様々な評価がなされる。悪評の中には「賊」その様に言い切る者もいるが、果たして馬琴の心中はどうだったのだろう?その心の機微に作者は大胆細心に切り込んでゆく。あたかも森田誠吾に馬琴が乗り移った感がある。

曲亭滝沢解馬琴。『南総里見八犬伝』を読んでみると分かるが、彼の文章にはいたるところに武家道徳が説かれている。純然たる武家の出なのだ。名を重んじる。曲亭馬琴の名は残したが、それが不朽のものかどうか危ぶまれるフシもある。多くの文士・絵師たちは黄泉に旅立った。馬琴自身も大病を経験した。この百年に渡る江戸小説の巨魁たる馬琴に至る江戸小説水滸伝を、己一代の遺文として残したい。

『近世物之本江戸作者部類』は馬琴自身の興を奮い立たせる。

滝沢解が町人に身をやつし、戯作者曲亭馬琴になるにはそれなりの曲折と言うものがある。田沼意次の時代、江戸の文化は花開いた。秀才太田南畝、後の蜀山人、四方赤良が居り、鬼才平賀源内が居た。その中で蔦屋重三郎、何くれとなく世話になった友人山東京伝に対する思いは深い。京伝が白河候の禁に触れ、手鎖を掛けられた時は江戸を逃げ出しもしたが、京伝はさりげなく受け入れもしてくれた。その恩は忘れない。だが山東京伝の弟、京山は赦し難い。町人の放縦。そう言ってしまえばそれに尽きる。だが武家の出の馬琴にとっては、証拠も何もなく武家の家系を名乗り、馬琴は京伝の弟子也などと触れ回る京山の無礼、文の才もなくただあると言えば人の情けの間を巧みに泳ぎまわる如才なさには己が身の震える思いすらある。
『近世物之本江戸作者部類』の想を練る間にも懐かしい人々への思いの隙間に京山への恨みは度々蘇る。

馬琴にはわが子を武士に戻し、滝沢家を再興したい。そうした思いもある。

京山の噂癖、軽口は何としても塞がねばならない。或いは、これが馬琴をして『近世物之本江戸作者部類』の筆に向かわせる理由だったのかも知れない。

質朴に生きることは、馬琴の憧れでもある。その憧れを行う者に鈴木牧之がいる。牧之は江戸に逗留して書を習いもした。その時も江戸の繁華には溺れる事無く、越後塩沢に戻った。彼は雪の書を世に送りたい。そう熱望していた。当初『北越雪談』と構想されていたその書は鈴木牧之校閲、山東京伝著として出版される手筈だった。

山東京伝亡き後、牧之は馬琴に白羽の矢を立て、馬琴もまた喜んで長文の書簡をしたためその依頼を受けた。書名は『北越雪中図会』『北越雪話』『越後国雪中奇観』と練り上げられ『越後雪譜』辿り着いた。

だが、馬琴は糊口をしのがねばならない。『…八犬伝』などの続編に追われ、家内の雑事に追われる。そのうちに大病を患う。月日が経つにつれ『越後雪譜』に気も乗らなくなってゆく。

ある日書状を受け取る。差出人は京山である。牧之の懇願により『…雪譜』の校訂を引き受けることにした。その様に書かれている。牧之からも同趣意の書状を受け取る。偶然に時期が一致した書簡では、勿論あるまい。

かくしてかつては意気込み、『…八犬伝』の中に越後の闘牛(うしあわせ)図を取り入れもした『北越雪譜』は京山の手に奪われる。いや、奪われたと考えるのは馬琴の心情に沿い過ぎている。

馬琴は『近世物之本江戸作者部類』にのめりこむ。

-この項未完-

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年1月 6日 (土)

『もんしぇん』から『もんしぇん』への旅

『もんしぇん』という映画に、2006夏、出会った。そして2007早春、再び会いに行く。窓の外には雪が、間断なく降り続いている。
この文章は夏の記録。今回はどのような出会いとなるか?

ひとりで子供を産む事を決めた「はる」という若い女が、自分の土人形を自分で作っている。そのシーンから映画が始まる。その人形は初老の男によって祈りと共に丁寧に沈められる。

その「場所」には何人かの人々が、まるでわたしたちがこの世に生をうけたように、自分の意志ではなく、様々な船によって流れ付き、生まれてくるこどもの魂の土人形を作っている。
「はる」もまた笹舟に乗って辿り着いてしまう。

雨の中、彼は「場所」に見知らぬ自分の家を見つけ出す。

そこは古ぼけているが、自分の日記が「ちい」の妊娠まで書かれており、空白のページの間に挟まれた、窯の前で撮られた彼女の古い写真を見出す。思わず飛び出した男の服の色は秋。
辿り着いた家に、若い頃の「ちい」の幻影を見るがそれは「はる」。そして、この「場所」に「ちい」がいる居る事を知って「作一」は再び飛び出してゆく。

「ちい」は全く写真のまま。

夕食時、新しく来た者と、古くから居た者の紹介が金蔵の世話によって行われる。「はる」が身篭っていると知った時の「金蔵」の狼狽は何を意味するのか?彼は古株の顔を見回す。新しい命の始まりは、古くからの命の終わりなのだろうか?この中の誰かが居なくなる?
「ちい」の姿は無い。ずっと人形を焼く窯のそばにいる。

「はる」が「ちい」に話しかけようとしても表情も変えない。去ろうとする「はる」は空から降ってきた船を見つけ、中年の男に呼び止められる。

いつの間にか入っていた眠りから醒めると、真っ白だった彼女の服は、羽織っていたウィンドブレーカーの様な萌黄色に変わっている。ペンダントは星のまま。自分で着替えた訳ではない。

春の草木の色。「ちい」が」抱く、子供代わりの座布団と同じ色。その女は真夏の青緑の服をいつも纏っている。或いは天草の海の色。

浅い海を渡ってまでして帰ろうとする「はる」は子を失った船の上から「はる」を見詰めていた女の視線に運命を感じたのか、帰ることをやめる。

会話は極めて少ない。青緑の女「ちい」に至っては全く喋らない。肝心な事は、全く語られず、海と時の止まった「場所」と土人形が総てを語る。

そして空。巨大な昇る月。朝の流星雨が語るものは何か?海は満ち潮。

「ちい」と語る「はる」は自分の中の海に入ってゆく。初めて自分から動く「ちい」。それを助けた、「作一」と共にどこにも流れ着く事のない棺舟を取り戻す。初老の男と青緑の女は多分、「はる」の父と母。「ちい」は「はる」を産み「場所」は時を取り戻す。

「はる」が目を醒ますと再び服は純白に戻っている。引き潮になった海岸で「作一」は「ちい」を膝に抱き、手を取って看取っている。「ちい」は歳を取ることをやめていたのだ。純白の「はる」はそれを見る。
彼女は戻る。戻ってゆく。

「はる」と老人たちは朝、「場所」の浜辺に降り注いでいた土人形の。幼稚園の子供たちとなって、初老の「作一」とすれ違う。沢山の子供たちが遊んでいる。時を動かす者、それは多分、子供たちだ。

「はる」が辿り着いてしまった時、人の気配すらなかった村に時が戻っている。

時は取り戻され、海も目覚めたのだろう。

やがて「ここ」に「はる」がやってきた時乗ってきたバスがやって来る。バスの中で母「ちい」からの言葉が書き付けられていた栞を取り出し、「はる」は父母に出会った事を知る。

バスは「風景」の中を走ってゆく。風景は時の中にある。

永久に消えてしまう星もあれば、再び生まれ変わる星もある。それらは命であり、命は流れる時の中にその在り処がある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年9月 5日 (火)

いちまいの絵

図像学
多分『ダヴィンチ・コード』やウンベルト・エコが流行らなければ、もっと叩きのめされ尽くしている「学」なのかも知れない。
地質学を曲がりなりにも学んでいたからかも知れないが、絵や形を読むことに興味を抱いていた。
もともと地層と言う物の形から、何事かを論理的に読み解く、そんな性質を、地質学は持っている。

だが、ボッシュやブリューゲル、或いはティツィアーノが描いている絵の意味を読み解く事を試みて見ると、殆どお手上げ状態に陥る。その時代のその地方の様々な文化が現在まで残っているとは限らない。
そうなると地層から読み取っていた意味も甚だしく覚束ないものになって行く。

Dsc00001 掲示板『夏の扉へ』の中でこの絵に出会った。

作者、性別、年齢何もかも不詳。何よりも、「鯨足」って?

自分自身の劣等感からだろうけれど、「足のおかげ」と書かれていた事から、もしや?と思っていたその答えを、自分自身が答えとして出す事を禁じていたのかも知れない。

そうした主観的なタブーや思い込みから図像学はわたしを少しずつ開放してくれたように思う。
暫くして、この絵の意味をわたしは確信した。

そこまでの過程は『夏の扉へ』に逐一書いてきた。

思わぬところで図像学は威力を発揮した。それ程役に立たないシロモノでもないと今では自信を持って言う事が出来る。

この絵の背景にはやはり
Marble をおきたいが、敷き詰めるやり方がわからなかった。
と鯨足ならぬ蛇足を書いて

そしてやはり書いておきたい

I love 鯨足 !

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年9月 4日 (月)

Little Blue and Little Yellow

藤田 圭雄の日本語訳『あおくんときいろちゃん』が出ている。

副題に
"a story for Pippo and Ann
and other children"
とあるように、遊びに来た子供たちにLeo Lionniが色紙をちぎって
即興でおはなしをつくってあそんだものが、もとになっていると聞く。

Little Blue and Little Yellow

お留守番を頼まれたblueは(同じくお留守番だった筈の)yellowのうちに遊びに行ってしまう
だが、会えない。

さがして、さがして、さがしまわったあげく、やっと会えたふたり。

うれしくて、しあわせで、だきあう。
固く、固く抱き合っているうちにblueとyellowはひとつのgreenに…

そのまま遊んだり、冒険したり。でも遊び疲れてうちに帰ろうとしてもふたりはひとつのgreenのまま。
blueはgreenではなく、yellowもgreenではない。

blueのパパやママも、yellowのパパもママも分からない。

悲しくて。なきながら走ってゆくと、涙でふたりはもとどおり。
こんどはふたりのパパもママも分かってくれる。そうして……

ここまでものがたりの筋をばらしてしまって良いものか?すこしだけ悩んだが、良いと思った。

Leo Lionniの色彩感覚と躍動感。そしてものがたりのセンスの良さ。
それがわたしたちを嬉しくさせてくれる。

あおくんときいろちゃん
レオ・レオーニ作 / 藤田 圭雄訳
至光社 (1979)
通常24時間以内に発送します。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年7月31日 (月)

Le Cosmimomiche

どのような能天気な話しから、書き始めようか?

友人たちの薦めで興味を抱き始めたItalo Calvinoだったが、すでにすっかりその魅力に取り憑かれている。 紹介する以上その魅力を語らなければならないのだろうが、実のところ、自分でも良く分からない。
すーっと引き込まれてゆき、語り手が誰なのか?語る相手は誰なのか?全く分からないけれど、いつの間にか、語られているものがたりの住人になってしまう。危険な小説ではある。

やはり、この"Le Cosmimomiche"から、始めたい。

断っておきたいのだが、この表紙の本を探しても、普通の書店では見付ける事は多分出来ない。題名のスペルからして異なっている。これは英語版。この表紙がとても気に入っている。日本語版では早川書房から文庫が出ているが全く気に入らない。

語り部の名はQfwfqという。宇宙開闢からの記憶を持っている。(いや、持っているかどうか、やや怪しいのだが、とりあえず宇宙の始まりからのものがたりを、昨日あった事ように思い出しながら語る)わたしたちはそれに身を委ねる。

いや、怪しいなどと失礼な事を書いた。ひとつひとつの思い出話しは冒頭に書かれているように、科学的な諸事実と整合性を持っている。
ならば、これはSFか?そうは呼びたくない。法螺ものがたり。そう表現したい。
科学的な前置きはほんの切っ掛けに過ぎない。
すぐに破天荒なQfwfqの夢のようなものがたりが展開されてゆく。どこまでも果てしなく。

Qfwfq。すごい名前だ。だが何とか発音可能だ。(可能か?)
だが、G’d(w)^nはどのように発音すればよいのだ?
すぐにこのような無駄な努力は放棄する事が懸命だと思う。
しかし思う。Qfwfqとは誰なのだろう?そして、彼が語りかけているのは、誰に対してなのだろう?

これも無駄な努力なのだろうがわたしには、どうしてもQfwfqは

こいつに思えて仕方が無い。
Tiktaalik
というデボン紀後期に生息していた生物。肺魚に分類されているが、どうもこいつらが陸上を歩いた始めての動物らしい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月 5日 (水)

山の郵便配達

わたしの趣味も手伝っている癖なのだろうが、いちど逃した本や映画には再び出逢う事はあり得ない。
そのように頑なに信じている。

雨が降り始めた今日DVDが届いた。DVDと言うだけで舞い上がってしまう。2001年に公開された、中国の映画。簡単にもうダメだ。そう思い込んでしまう。

『山の郵便配達』。原題は『那山 那人 那狗』、「あの山、あの人、あの犬」そのように訳されるらしい。

この映画はWolkeさんのコメントで教えて頂いた。その時は、見る事は出来ない映画なのだろうと、漠然と思っていた。

いちど配達に出ると3ヶ月は戻る事がない。そうしたゆったりとした過酷な時間の塊の中で、最後の仕事に出ようとする父と息子、そして「次男坊」と呼ばれる犬とが、仕事という旅に出る。

すべてがさりげなく示され、こころとからだに染みこんでゆく。

ゆったりと流れる、時代という過酷な旅…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月20日 (火)

UNJOUR , UN CHIEN

Vincentの
これが、原点なのかも知れない

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月19日 (月)

あらー…らら…ら…

確認しなきゃあかんなー…

横長の絵が切れてやんの。小さくなるだけだと思っていたのだがなー。
ま、主な場所が入っているから、これで良しとしよう。
横の長さも分かった事だし…。

わたしはかっこ悪い大人だ。
…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«かっこいい!