2013年4月 7日 (日)

風と共に去りぬ

何も見るべきTVがないので、仕方なしに録画してあったこの映画を女房殿と一緒に見始めた。

すぐにぐいぐいと引き込まれ、食い入るように映画を観ていた。

正直、こんなに凄い映画だとは思っていなかった。

名画である事は勿論意識していた。
だから録画したのだ。

だが、観るのはもっと後、ひとりで観ることになると思っていた。

長編映画なので、もっとゆっくりしたテンポで話しが進むものと考えていたが、それはあっさりと裏切られた。

軽快なテンポで、どんどん話しが進んでゆく。

そのテンポとスカーレットの性格が呼応して、映画の魅力が存分に発揮されていると思う。

この映画は、1939年にマーガレット・ミッチェルの大ベストセラー小説『風と共に去りぬ』を元に制作されている。

監督はヴィクター・フレミング。
脚本はシドニー・ハワードの担当。
撮影は「テレヴィジョンの王様」のアーネスト・ホーラーで、レイ・レナハンとウィルフリッド・M・クラインが色彩撮影に協力している。

あらすじを述べようと思ったが、頓挫した。
長すぎる。

根強いファンに未だ支えられているのだろう。こんなサイトも作られている。
こちらに譲ろう。

だが、南北戦争と言えば、私の中ではこの『風と共に去りぬ』なのだ。

スカーレット・オハラの強気な性格は、樫の木屋敷のお嬢様としての始めの頃は、困った性格として描かれているが、戦局が北軍の優位に傾き、スカーレットの身の回りが慌ただしくなってくるに従って、その性格が魅力的なものとして輝き始める。

スカーレットはやがて看護婦として働き始める。ここからの描写は凄まじいものがある。

出産を控えたメラニーの為に医者を捜し求めるシーンは広い駅前広場一面が、傷病兵によって占められた状況を映し出す。

一体このシーンに幾らつぎ込んだのだろう。

俯瞰するカメラは広場全体を映し出し、被害の大きさを描写する。壮絶な混乱。その中でスカーレットは奮闘を始める。

しかし、この時はまだ、「自分勝手なお嬢様」だ。
死臭立ち籠める看護の仕事に嫌気が差し、とっとと止めて故郷のタラに帰ろうとする。

それを助けるのはチャールズトン生まれの船長で素行の評判の良くないレット・バトラーだ。

南北戦争の終盤、炎に包まれるアトランタを命からがら脱出するシーンもまた凄まじい。

Post Disaster Growthという言葉がある。

災害の後人は成長することがあるというのだ。

今回の日本の東日本大震災でもそれが指摘されている。

スカーレットのこの混乱の中での成長はまさにそのPost Disaster Growthそのものだと思える。

レットは途中ひとり戦線へ向かい、のこされた2人はやっとの思いでタラの地に着くが、すでに廃墟になって、北軍にすっかり蹂躪されたあとだった。

飢えたスカーレットは畑に生えている泥だらけの大根をそのまま貪りはじめ、その惨めさに一度は突っ伏し、激しく号泣するが憤然と立ち上がって宣言する。

As God is my witness, I'm going to live through this and when it's all over, I'll never be hungry again. No, nor any of my folk. If I have to lie, steal, cheat or kill.

神様…私は二度と餓えません!私の家族も飢えさせません!その為なら…人を騙し、人の物を盗み、人を殺してでも生き抜いてみせます。

この前半最後のシーンは感動的だ。

そのシーンで見る夕焼けは、冒頭で父親と共にアイルランド人としての自覚を覚えたシーンに重なる。

あの有名な音楽がそれに重なる。

音楽はマックス・スタイナーが担当している。

書き出してみると、とんでもなく利己的な台詞とも思えてくる。しかし、もはや映画に飲み込まれ、スカーレットと同化している私にはそうは聞こえない。

スカーレットの持ち前の強気な性格、そして生きる事への強い情熱が、その台詞に存分に込められている。

ここでスカーレットはお嬢様では無くなるのだ。
自立し、リーダーシップすら備えた、大人のアメリカ人として屹立している。
子供じみた世界観とキッパリと決別しているのだ。

思わず筋書きを追ってしまった。

彼女は、現実世界に打ちひしがれて、子供のように自らを哀れむことよりも、世の不条理をしっかと見据え、勝ち抜くことを選んだのだ。

これはアメリカ人の心の原風景だろう。

地に這うような絶望を味わっても、何度でも立ち上がる誇り高さと、愛に関しては愚かしいほどの鈍感さが、スカーレットの魅力を永遠のものにしている。

それは後半のラスト、有名なこのシーンにも現れている。

Tara! Home. I'll go home. And I'll think of some way to get him back. After all... tomorrow is another day.

タラがあるわ!故郷に帰ろう。そして彼が戻ってくる方法を考えればいいわ。明日は明日の風が吹くわ。

今日という日がどんな苦境にあっても、明日になれば、物事はいい方向に転じるものであるという意味だ。

前向きにいれば将来いいこともある。 スカーレットは最後に愛する人までも失ってしまうが「私にはタラ(故郷)がある!」とどこまでも前向きだ。

この逞しさと前向きな姿勢が、アメリカを超えて、世界に共感の輪を広げる理由なのだろう。

今迄この名画を観ることなしで過ごしてきた。だからそれ程の映画好きにならなかったのかも知れない。

今回そう思った。

感性が瑞々しかった青春時代、この映画に出会っていたら人生が変わったかも知れない。それ程に素晴らしい映画だった。

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2010年2月 6日 (土)

『夢酔独言』─勝夢酔

東京に住んでいた時分、「江戸」に興味を持った事がある。
何しろ至る所、近所のそこここに書物の中の地名がある。そして書かれている情景とは、当たり前の事だが、すっかり変わってしまっている。その違いを感じる のも面白いもので、かなり歴史史料を漁った。

殆どが漢文で書かれている。これには手を焼いた。中には木版のものもあった。手を焼いたどころではなかった。日本語で書かれているのに読めないのだ。仮 名すら読めない。何やら面妖な文字が連綿と書かれている。現在に伝わる仮名は数が限られているが、かつては様々な漢字から数種類の仮名が作られ使われてい た。変体仮名と言う。同じ読みだったらひとつの文字に決めてしまえば良い。現在の目からはそう見える。日本はそれを選ばなかった。時々に合わせて、または 文字の座りの良さや、連綿の都合から様々な文字を選んでいた。
漢字も今の様に文部省に管理されていた訳ではない。結構自由に使っている。こうでなくっちゃと、この自由さには憧れるが、正直言って読みにくい。

『夢酔独言』は高校時代入手した。そう言えば、その頃にもちょっと歴史にこだわった時期があった。だが、熱中して読んだのは「江戸」に深入りしてから だった。

勝夢酔。この名前から人物の素性が分かるのは、歴史に詳しい方だ。正式な名である勝左衛門太郎惟寅では更に分かるまい。夢酔は勝小吉の雅号だ。幼名は亀 松。亀松でも勝小吉でも分からなければ、勝海舟の父親だと言えば分かってもらえるだろう。この親子、『親子鷹』という小説にもなっている。書きたくなる気 持ちは十分に理解出来る。痛快な親子だ。

旗本。だが、ちっとも武張っていない。

勝小吉は無闇矢鱈と喧嘩に強かったらしい。その時代の江戸で、知らないのは潜りだと言われた。江戸評判の喧嘩名人。さぞや粋な喧嘩の仕方をしたのだろ う。

本人は少し反省もしていたらしい。

『夢酔独言』は(「まえがき」部分はあるが)こう書き始められている。

おれほどの馬鹿な者は世の中にもあんまり有るまいとおもふ。故に孫やひこのために、はなしてきかせるが、能々不法もの、馬鹿者のいましめにするがいゝぜ。

この調子で最後迄続く。

同じ様な口調の勝海舟『氷川清話』は話し言葉をそのまま筆記したらしいが、『夢酔独言』は最初から文字で書かれている。
それでもこの調子だ。

書かれている内容がまた破天荒だ。
読むと痛快で楽しめるが、実の父親がこうだったら迷惑千万だ。勝海舟はどう思っていたのだろう?息子も息子なので親譲りと諦めていたのだろうか?

殆ど文盲同然だったらしい。
江戸有数の剣客ないしはあばれ者。本所・下谷から浅草・吉原にかけての顔役、同時に露天商の親分で刀剣ブローカー鑑定(めきき)屋、祈祷師などを歴任した 挙げ句、天保の改革の折に不良旗本として隠居謹慎を仰せつかって覚悟した。
文字を習い、自らの生涯を省みてこの書を記した。

お蔭でわたしたちは平凡な(?)旗本の肉声を本の中に聴く事が出来る。

歴史史料を漁っていて、これ程楽しめた史料は他にない。

平凡社の東洋文庫から出されていた。今もあるのだろうか?東洋文庫だから入手は可能だと思う。一読をお勧めする。

 気はながく こころはひろく いろうすく
 つとめはかたく 身をばもつべし

外に

 まなべただ ゆふべになろふみちのべの
 露のいのちの あすきゆるとも

冒頭にらしくないうたが添えられている。

らしくないが、心構えはここにあったのだろう。
いつ死んでも良い。そう思いながら生きた武人だったのだと思う。ある意味、宮本武蔵より死への覚悟が出来ていた。

器の大きな人物だ。

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2009年12月17日 (木)

思いがけない「人生を変えた」本

この本がなかったら生き方が変わっただろう。そう思える本は幾つかある。大抵は香り高い雰囲気を放っており、誰彼構わずそれを推薦したくなり、読んだ事が半ば誇らしくも思える本たちだ。

多分、それに匹敵する。だが、今回は恥ずかしくてなかなか披露出来なかった。

その筋では有名な本らしい。わたしに余り縁がないベストセラーでもあるらしい。文章も美しくなく、訳もそれ程良くはない。

アレン・カー『禁煙セラピー』。それがその本だ。

振り返ってみると11月の中旬からわたしの日記は煙草の事で占められている。どうやらその頃から煙草を止めようとしていたらしい。
その頃の事を覚えていない。

だが、それがあったから結構遠い本屋迄歩いて、この本を買いに出掛けたのだろう。

残念な事にこの本に書かれた通りには物事は進まなかった。上手く自分をマインドコントロール出来なかったようだ。にも関わらず、意識は変わった。まともに煙草と向き合う様になった。
その意味では人生を変えた本と言える。

11月の終わり頃、この本を買いに出掛けようとしたわたしは日記に「どうせ大した事はないだろうが…」と記している。

今では良くあの時、長い道を歩いて出掛けたものだと自分に感心する。

 

思いがけない事だ。
殆ど毎日、この本に手を伸ばしている。

こんな本に…。その思いはまだ少しある。だが、人生を変えられたのだ。それは認めたかろうが認めたくなかろうが事実だ。

断煙。自分ではそう呼んでいる。通りの良い言い方をしよう。禁煙に踏み切った。

少し残念でもある。
わたしが最初からこの本と無縁の存在だったら、つまり、煙草と無縁だったら、どれだけ良かった事か。

このひと月で考え方が、がらりと変わった。煙草は世の中の大問題だ。

勿論、わたしにとっても大問題だ。

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2008年5月 1日 (木)

今迄どうやって訳していたのか分からない

NHKのテレビ外国語会話が今年度から「テレビで~会話」という名前になり、時間帯も少し変わった。この「少し」がわたしには大変な事件だった。

力を入れていたフランス語とドイツ語が連続して放送されることになってしまった。

今迄は放送の直前にちょこちょこっと眼を通して番組を眺めていると、それだけで何と無く語学の勉強になっているのでは…?という雰囲気や自己満足に浸ることが出来たが、直前の勉強がしにくくなった。

心を入れ替え、今年度はフランス語とドイツ語だけに絞り(スペイン語まで手を出していた。更にはイタリア語まで…)予復習をきちんとやる事にした。

一気に難しく感じ始めている。

今迄何を勉強してきたのだろうか?
殆ど初めてドイツ語やフランス語に触れているような気分だ。

今年からGoetheの『Die Leiden des jungen Werther』を訳し始めていた。ゲーテのドイツ語に対して、ある程度自分なりのイメージがつかめてきたようにも思っていた。

今迄も外国語の文章を訳しては、それをBlogに掲載してきた記憶もある。だが、正直言ってどの様にその「偉業」を成し遂げてきたのか全く分からなくなっている。

大学でドイツ語は少し勉強した。その「蓄え」があるだろうと期待していたのだが、全く歯が立たない。先週はフランス語に力を入れたので、余計ドイツ語が分からなくなってきている。
慌ててドイツ語の復習に力を入れ始めた。
今週の復習をやっていたのだが、今迄やってきたことがきちんと頭に入っていないため、テキストを遡っていたら最初まで遡る羽目に陥った。

どちらかと言うと慣れているドイツ語がこれなので、フランス語は押して知るべし。真面目に取り組み始めたと思っていたのは、単なる錯覚で、最初の頃はやはりただ漫然と見ていたに過ぎない。勿論何も頭に入っていない。

語学の勉強をしているというより、自己嫌悪とひたすら戦っている、そんな気分の方が近いように思う。兎に角覚えないし、忘れる。
そんなわたしの実態を無視して、テキストの情報量はひたすら多い。

数年間テキストを眺め続けて、感心するのは毎年良く工夫されていて、しかも使い回しをしないということがある。

今週のドイツ語のテキストに、äの発音の仕方が載っていた。普通のテキストには、判で押したように「あ」の口の形で「え」と発音するように、と書かれている。
今季はちょっと違っていた。
日本語で驚いたときに出す「え~」の音のつもりでどうぞ
これにはちょっと感動した。この説明の仕方は斬新で、しかも覚えやすい。…この手があったか!

この発音の仕方は覚えそうだ。

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2007年12月20日 (木)

謎な現象

最近中井久夫を中心にして精神医学・心理学関係の本を読んでいる。

専門家の方々は中井久夫をどの様に評価なされているのかは知らない。だが、文学的香りが高い文章だと思う。
興味がそそられて、エセーなども入手したのだが、観察眼の鋭さが際立つ。

阪神大震災以来、日本でPTSDという言葉が一般化されたが、中井久夫の報告がこの用語を広めた大きなきっかけにはなっていると思う。

ところで、心理学関係の本を読み始めたせいか謎な現象が起きている。
このブログにMacから入れない。

何故なのかもうひとつ分からないが、WinのそれもIEを通してしか書き込めなくなっている。

と言っても、この文章がきちんとUpされるかどうかも今は心許なく思っている。どうなっているのだろう?

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その後、実に基本的なところで間違えていた事に気が付く。

長い間、更新していないとどうしようもない事を忘れるものだ。実にどうでも良い文章になってしまった。これもわたしの現実だろう。残しておこう。
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2007年1月10日 (水)

『曲亭馬琴 遺稿』の事

浅草寺北、三社神社の裏にある通路の脇には「筆塚」「机塚」が今も残っている。この塚を京山が造った経緯が描かれている。
山東京伝ならば知っている。即座に幾つか作品の名を挙げることもできる。けれど京山は別だ。山東京伝の弟。それ以外知識が無い。
いや、作品を知らない訳ではなかった。鈴木牧之の『北越雪譜』。これは京山の筆によるものだ。この作品は雪の季節必ずといって良いほど手にする。手にするたびにその序に京山の名がある。その名は、浮いている。

森田誠吾と言う作家は爆発的に売れはしなかった。だが、一部に熱烈なファンがいることも確かで、作品はどれも高水準を保っている。
その中でもこの『曲亭馬琴 遺稿』は燦然と輝いている。

馬琴67歳。もはや晩年。成功を収めた彼は讃州高松藩家老、木村黙老の不躾とも言える依頼を切っ掛けに、江戸時代の戯作者の沿革を述べた『近世物之本江戸作者部類』を突然書き始める。

この本。出版には到っていない。

小説にありがちな作者の作り出した架空の本なのか?そう最初は思った。けれど調べてみると出版はされなかったが『近世物之本江戸作者部類』は実在する。
森田誠吾は史実を書簡などの史料を自在にちりばめ、操り、馬琴とその周辺の江戸を再現する。

巻末に「参考文献」が丁寧にまとめられている。ここから『曲亭馬琴 遺稿』を中心に江戸時代そのものを調べて行く事も出来る。
一時期わたしはその作業に没頭した。

細部に渡って、極めて良く調べられている本だ。馬琴の生い立ち、家族に始まり、版元との確執までもが明瞭簡潔に述べられている。
呉服屋で反物を選ぶ時、そこで軽い食事を採る。その様な習慣はこの本を切っ掛けにはじめて知った。実際にあった習慣らしい。
単行本ではなく、文庫本に添えられた解説にその顛末が述べられている。

さりげなく、そして、労力を惜しむ事無く彼は調べたそれらの史料を単なる描写だけにすら用いる。

『近世物之本江戸作者部類』のおよそ1/4は馬琴自身の事に費やされている。馬琴の自己弁明の書。その様に評価されてもいるようだ。

既に述べたが、馬琴は『南総里見八犬伝』などでゆるぎない成功を収めている。

ならば何故、晩年になって突然自己弁明の書に取り掛かったのか?

毀誉褒貶、馬琴には様々な評価がなされる。悪評の中には「賊」その様に言い切る者もいるが、果たして馬琴の心中はどうだったのだろう?その心の機微に作者は大胆細心に切り込んでゆく。あたかも森田誠吾に馬琴が乗り移った感がある。

曲亭滝沢解馬琴。『南総里見八犬伝』を読んでみると分かるが、彼の文章にはいたるところに武家道徳が説かれている。純然たる武家の出なのだ。名を重んじる。曲亭馬琴の名は残したが、それが不朽のものかどうか危ぶまれるフシもある。多くの文士・絵師たちは黄泉に旅立った。馬琴自身も大病を経験した。この百年に渡る江戸小説の巨魁たる馬琴に至る江戸小説水滸伝を、己一代の遺文として残したい。

『近世物之本江戸作者部類』は馬琴自身の興を奮い立たせる。

滝沢解が町人に身をやつし、戯作者曲亭馬琴になるにはそれなりの曲折と言うものがある。田沼意次の時代、江戸の文化は花開いた。秀才太田南畝、後の蜀山人、四方赤良が居り、鬼才平賀源内が居た。その中で蔦屋重三郎、何くれとなく世話になった友人山東京伝に対する思いは深い。京伝が白河候の禁に触れ、手鎖を掛けられた時は江戸を逃げ出しもしたが、京伝はさりげなく受け入れもしてくれた。その恩は忘れない。だが山東京伝の弟、京山は赦し難い。町人の放縦。そう言ってしまえばそれに尽きる。だが武家の出の馬琴にとっては、証拠も何もなく武家の家系を名乗り、馬琴は京伝の弟子也などと触れ回る京山の無礼、文の才もなくただあると言えば人の情けの間を巧みに泳ぎまわる如才なさには己が身の震える思いすらある。
『近世物之本江戸作者部類』の想を練る間にも懐かしい人々への思いの隙間に京山への恨みは度々蘇る。

馬琴にはわが子を武士に戻し、滝沢家を再興したい。そうした思いもある。

京山の噂癖、軽口は何としても塞がねばならない。或いは、これが馬琴をして『近世物之本江戸作者部類』の筆に向かわせる理由だったのかも知れない。

質朴に生きることは、馬琴の憧れでもある。その憧れを行う者に鈴木牧之がいる。牧之は江戸に逗留して書を習いもした。その時も江戸の繁華には溺れる事無く、越後塩沢に戻った。彼は雪の書を世に送りたい。そう熱望していた。当初『北越雪談』と構想されていたその書は鈴木牧之校閲、山東京伝著として出版される手筈だった。

山東京伝亡き後、牧之は馬琴に白羽の矢を立て、馬琴もまた喜んで長文の書簡をしたためその依頼を受けた。書名は『北越雪中図会』『北越雪話』『越後国雪中奇観』と練り上げられ『越後雪譜』辿り着いた。

だが、馬琴は糊口をしのがねばならない。『…八犬伝』などの続編に追われ、家内の雑事に追われる。そのうちに大病を患う。月日が経つにつれ『越後雪譜』に気も乗らなくなってゆく。

ある日書状を受け取る。差出人は京山である。牧之の懇願により『…雪譜』の校訂を引き受けることにした。その様に書かれている。牧之からも同趣意の書状を受け取る。偶然に時期が一致した書簡では、勿論あるまい。

かくしてかつては意気込み、『…八犬伝』の中に越後の闘牛(うしあわせ)図を取り入れもした『北越雪譜』は京山の手に奪われる。いや、奪われたと考えるのは馬琴の心情に沿い過ぎている。

馬琴は『近世物之本江戸作者部類』にのめりこむ。

-この項未完-

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2007年1月 6日 (土)

『もんしぇん』から『もんしぇん』への旅

『もんしぇん』という映画に、2006夏、出会った。そして2007早春、再び会いに行く。窓の外には雪が、間断なく降り続いている。
この文章は夏の記録。今回はどのような出会いとなるか?

ひとりで子供を産む事を決めた「はる」という若い女が、自分の土人形を自分で作っている。そのシーンから映画が始まる。その人形は初老の男によって祈りと共に丁寧に沈められる。

その「場所」には何人かの人々が、まるでわたしたちがこの世に生をうけたように、自分の意志ではなく、様々な船によって流れ付き、生まれてくるこどもの魂の土人形を作っている。
「はる」もまた笹舟に乗って辿り着いてしまう。

雨の中、彼は「場所」に見知らぬ自分の家を見つけ出す。

そこは古ぼけているが、自分の日記が「ちい」の妊娠まで書かれており、空白のページの間に挟まれた、窯の前で撮られた彼女の古い写真を見出す。思わず飛び出した男の服の色は秋。
辿り着いた家に、若い頃の「ちい」の幻影を見るがそれは「はる」。そして、この「場所」に「ちい」がいる居る事を知って「作一」は再び飛び出してゆく。

「ちい」は全く写真のまま。

夕食時、新しく来た者と、古くから居た者の紹介が金蔵の世話によって行われる。「はる」が身篭っていると知った時の「金蔵」の狼狽は何を意味するのか?彼は古株の顔を見回す。新しい命の始まりは、古くからの命の終わりなのだろうか?この中の誰かが居なくなる?
「ちい」の姿は無い。ずっと人形を焼く窯のそばにいる。

「はる」が「ちい」に話しかけようとしても表情も変えない。去ろうとする「はる」は空から降ってきた船を見つけ、中年の男に呼び止められる。

いつの間にか入っていた眠りから醒めると、真っ白だった彼女の服は、羽織っていたウィンドブレーカーの様な萌黄色に変わっている。ペンダントは星のまま。自分で着替えた訳ではない。

春の草木の色。「ちい」が」抱く、子供代わりの座布団と同じ色。その女は真夏の青緑の服をいつも纏っている。或いは天草の海の色。

浅い海を渡ってまでして帰ろうとする「はる」は子を失った船の上から「はる」を見詰めていた女の視線に運命を感じたのか、帰ることをやめる。

会話は極めて少ない。青緑の女「ちい」に至っては全く喋らない。肝心な事は、全く語られず、海と時の止まった「場所」と土人形が総てを語る。

そして空。巨大な昇る月。朝の流星雨が語るものは何か?海は満ち潮。

「ちい」と語る「はる」は自分の中の海に入ってゆく。初めて自分から動く「ちい」。それを助けた、「作一」と共にどこにも流れ着く事のない棺舟を取り戻す。初老の男と青緑の女は多分、「はる」の父と母。「ちい」は「はる」を産み「場所」は時を取り戻す。

「はる」が目を醒ますと再び服は純白に戻っている。引き潮になった海岸で「作一」は「ちい」を膝に抱き、手を取って看取っている。「ちい」は歳を取ることをやめていたのだ。純白の「はる」はそれを見る。
彼女は戻る。戻ってゆく。

「はる」と老人たちは朝、「場所」の浜辺に降り注いでいた土人形の。幼稚園の子供たちとなって、初老の「作一」とすれ違う。沢山の子供たちが遊んでいる。時を動かす者、それは多分、子供たちだ。

「はる」が辿り着いてしまった時、人の気配すらなかった村に時が戻っている。

時は取り戻され、海も目覚めたのだろう。

やがて「ここ」に「はる」がやってきた時乗ってきたバスがやって来る。バスの中で母「ちい」からの言葉が書き付けられていた栞を取り出し、「はる」は父母に出会った事を知る。

バスは「風景」の中を走ってゆく。風景は時の中にある。

永久に消えてしまう星もあれば、再び生まれ変わる星もある。それらは命であり、命は流れる時の中にその在り処がある。

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2006年9月 5日 (火)

いちまいの絵

図像学
多分『ダヴィンチ・コード』やウンベルト・エコが流行らなければ、もっと叩きのめされ尽くしている「学」なのかも知れない。
地質学を曲がりなりにも学んでいたからかも知れないが、絵や形を読むことに興味を抱いていた。
もともと地層と言う物の形から、何事かを論理的に読み解く、そんな性質を、地質学は持っている。

だが、ボッシュやブリューゲル、或いはティツィアーノが描いている絵の意味を読み解く事を試みて見ると、殆どお手上げ状態に陥る。その時代のその地方の様々な文化が現在まで残っているとは限らない。
そうなると地層から読み取っていた意味も甚だしく覚束ないものになって行く。

Dsc00001 掲示板『夏の扉へ』の中でこの絵に出会った。

作者、性別、年齢何もかも不詳。何よりも、「鯨足」って?

自分自身の劣等感からだろうけれど、「足のおかげ」と書かれていた事から、もしや?と思っていたその答えを、自分自身が答えとして出す事を禁じていたのかも知れない。

そうした主観的なタブーや思い込みから図像学はわたしを少しずつ開放してくれたように思う。
暫くして、この絵の意味をわたしは確信した。

そこまでの過程は『夏の扉へ』に逐一書いてきた。

思わぬところで図像学は威力を発揮した。それ程役に立たないシロモノでもないと今では自信を持って言う事が出来る。

この絵の背景にはやはり
Marble をおきたいが、敷き詰めるやり方がわからなかった。
と鯨足ならぬ蛇足を書いて

そしてやはり書いておきたい

I love 鯨足 !

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2006年9月 4日 (月)

Little Blue and Little Yellow

藤田 圭雄の日本語訳『あおくんときいろちゃん』が出ている。

副題に
"a story for Pippo and Ann
and other children"
とあるように、遊びに来た子供たちにLeo Lionniが色紙をちぎって
即興でおはなしをつくってあそんだものが、もとになっていると聞く。

Little Blue and Little Yellow

お留守番を頼まれたblueは(同じくお留守番だった筈の)yellowのうちに遊びに行ってしまう
だが、会えない。

さがして、さがして、さがしまわったあげく、やっと会えたふたり。

うれしくて、しあわせで、だきあう。
固く、固く抱き合っているうちにblueとyellowはひとつのgreenに…

そのまま遊んだり、冒険したり。でも遊び疲れてうちに帰ろうとしてもふたりはひとつのgreenのまま。
blueはgreenではなく、yellowもgreenではない。

blueのパパやママも、yellowのパパもママも分からない。

悲しくて。なきながら走ってゆくと、涙でふたりはもとどおり。
こんどはふたりのパパもママも分かってくれる。そうして……

ここまでものがたりの筋をばらしてしまって良いものか?すこしだけ悩んだが、良いと思った。

Leo Lionniの色彩感覚と躍動感。そしてものがたりのセンスの良さ。
それがわたしたちを嬉しくさせてくれる。

あおくんときいろちゃん
レオ・レオーニ作 / 藤田 圭雄訳
至光社 (1979)
通常24時間以内に発送します。

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2006年7月31日 (月)

Le Cosmicomiche

どのような能天気な話しから、書き始めようか?

友人たちの薦めで興味を抱き始めたItalo Calvinoだったが、すでにすっかりその魅力に取り憑かれている。 紹介する以上その魅力を語らなければならないのだろうが、実のところ、自分でも良く分からない。
すーっと引き込まれてゆき、語り手が誰なのか?語る相手は誰なのか?全く分からないけれど、いつの間にか、語られているものがたりの住人になってしまう。危険な小説ではある。

やはり、この"Le Cosmicomiche"から、始めたい。

断っておきたいのだが、この表紙の本を探しても、普通の書店では見付ける事は多分出来ない。題名のスペルからして異なっている。これは英語版。この表紙がとても気に入っている。日本語版では早川書房から文庫が出ているが全く気に入らない。

語り部の名はQfwfqという。宇宙開闢からの記憶を持っている。(いや、持っているかどうか、やや怪しいのだが、とりあえず宇宙の始まりからのものがたりを、昨日あった事ように思い出しながら語る)わたしたちはそれに身を委ねる。

いや、怪しいなどと失礼な事を書いた。ひとつひとつの思い出話しは冒頭に書かれているように、科学的な諸事実と整合性を持っている。
ならば、これはSFか?そうは呼びたくない。法螺ものがたり。そう表現したい。
科学的な前置きはほんの切っ掛けに過ぎない。
すぐに破天荒なQfwfqの夢のようなものがたりが展開されてゆく。どこまでも果てしなく。

Qfwfq。すごい名前だ。だが何とか発音可能だ。(可能か?)
だが、G’d(w)^nはどのように発音すればよいのだ?
すぐにこのような無駄な努力は放棄する事が懸命だと思う。
しかし思う。Qfwfqとは誰なのだろう?そして、彼が語りかけているのは、誰に対してなのだろう?

これも無駄な努力なのだろうがわたしには、どうしてもQfwfqは

こいつに思えて仕方が無い。
Tiktaalik
というデボン紀後期に生息していた生物。肺魚に分類されているが、どうもこいつらが陸上を歩いた始めての動物らしい。

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