浅草寺北、三社神社の裏にある通路の脇には「筆塚」「机塚」が今も残っている。この塚を京山が造った経緯が描かれている。
山東京伝ならば知っている。即座に幾つか作品の名を挙げることもできる。けれど京山は別だ。山東京伝の弟。それ以外知識が無い。
いや、作品を知らない訳ではなかった。鈴木牧之の『北越雪譜』。これは京山の筆によるものだ。この作品は雪の季節必ずといって良いほど手にする。手にするたびにその序に京山の名がある。その名は、浮いている。
森田誠吾と言う作家は爆発的に売れはしなかった。だが、一部に熱烈なファンがいることも確かで、作品はどれも高水準を保っている。
その中でもこの『曲亭馬琴 遺稿』は燦然と輝いている。
馬琴67歳。もはや晩年。成功を収めた彼は讃州高松藩家老、木村黙老の不躾とも言える依頼を切っ掛けに、江戸時代の戯作者の沿革を述べた『近世物之本江戸作者部類』を突然書き始める。
この本。出版には到っていない。
小説にありがちな作者の作り出した架空の本なのか?そう最初は思った。けれど調べてみると出版はされなかったが『近世物之本江戸作者部類』は実在する。
森田誠吾は史実を書簡などの史料を自在にちりばめ、操り、馬琴とその周辺の江戸を再現する。
巻末に「参考文献」が丁寧にまとめられている。ここから『曲亭馬琴 遺稿』を中心に江戸時代そのものを調べて行く事も出来る。
一時期わたしはその作業に没頭した。
細部に渡って、極めて良く調べられている本だ。馬琴の生い立ち、家族に始まり、版元との確執までもが明瞭簡潔に述べられている。
呉服屋で反物を選ぶ時、そこで軽い食事を採る。その様な習慣はこの本を切っ掛けにはじめて知った。実際にあった習慣らしい。
単行本ではなく、文庫本に添えられた解説にその顛末が述べられている。
さりげなく、そして、労力を惜しむ事無く彼は調べたそれらの史料を単なる描写だけにすら用いる。
『近世物之本江戸作者部類』のおよそ1/4は馬琴自身の事に費やされている。馬琴の自己弁明の書。その様に評価されてもいるようだ。
既に述べたが、馬琴は『南総里見八犬伝』などでゆるぎない成功を収めている。
ならば何故、晩年になって突然自己弁明の書に取り掛かったのか?
毀誉褒貶、馬琴には様々な評価がなされる。悪評の中には「賊」その様に言い切る者もいるが、果たして馬琴の心中はどうだったのだろう?その心の機微に作者は大胆細心に切り込んでゆく。あたかも森田誠吾に馬琴が乗り移った感がある。
曲亭滝沢解馬琴。『南総里見八犬伝』を読んでみると分かるが、彼の文章にはいたるところに武家道徳が説かれている。純然たる武家の出なのだ。名を重んじる。曲亭馬琴の名は残したが、それが不朽のものかどうか危ぶまれるフシもある。多くの文士・絵師たちは黄泉に旅立った。馬琴自身も大病を経験した。この百年に渡る江戸小説の巨魁たる馬琴に至る江戸小説水滸伝を、己一代の遺文として残したい。
『近世物之本江戸作者部類』は馬琴自身の興を奮い立たせる。
滝沢解が町人に身をやつし、戯作者曲亭馬琴になるにはそれなりの曲折と言うものがある。田沼意次の時代、江戸の文化は花開いた。秀才太田南畝、後の蜀山人、四方赤良が居り、鬼才平賀源内が居た。その中で蔦屋重三郎、何くれとなく世話になった友人山東京伝に対する思いは深い。京伝が白河候の禁に触れ、手鎖を掛けられた時は江戸を逃げ出しもしたが、京伝はさりげなく受け入れもしてくれた。その恩は忘れない。だが山東京伝の弟、京山は赦し難い。町人の放縦。そう言ってしまえばそれに尽きる。だが武家の出の馬琴にとっては、証拠も何もなく武家の家系を名乗り、馬琴は京伝の弟子也などと触れ回る京山の無礼、文の才もなくただあると言えば人の情けの間を巧みに泳ぎまわる如才なさには己が身の震える思いすらある。
『近世物之本江戸作者部類』の想を練る間にも懐かしい人々への思いの隙間に京山への恨みは度々蘇る。
馬琴にはわが子を武士に戻し、滝沢家を再興したい。そうした思いもある。
京山の噂癖、軽口は何としても塞がねばならない。或いは、これが馬琴をして『近世物之本江戸作者部類』の筆に向かわせる理由だったのかも知れない。
質朴に生きることは、馬琴の憧れでもある。その憧れを行う者に鈴木牧之がいる。牧之は江戸に逗留して書を習いもした。その時も江戸の繁華には溺れる事無く、越後塩沢に戻った。彼は雪の書を世に送りたい。そう熱望していた。当初『北越雪談』と構想されていたその書は鈴木牧之校閲、山東京伝著として出版される手筈だった。
山東京伝亡き後、牧之は馬琴に白羽の矢を立て、馬琴もまた喜んで長文の書簡をしたためその依頼を受けた。書名は『北越雪中図会』『北越雪話』『越後国雪中奇観』と練り上げられ『越後雪譜』辿り着いた。
だが、馬琴は糊口をしのがねばならない。『…八犬伝』などの続編に追われ、家内の雑事に追われる。そのうちに大病を患う。月日が経つにつれ『越後雪譜』に気も乗らなくなってゆく。
ある日書状を受け取る。差出人は京山である。牧之の懇願により『…雪譜』の校訂を引き受けることにした。その様に書かれている。牧之からも同趣意の書状を受け取る。偶然に時期が一致した書簡では、勿論あるまい。
かくしてかつては意気込み、『…八犬伝』の中に越後の闘牛(うしあわせ)図を取り入れもした『北越雪譜』は京山の手に奪われる。いや、奪われたと考えるのは馬琴の心情に沿い過ぎている。
馬琴は『近世物之本江戸作者部類』にのめりこむ。
-この項未完-
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